laoshuaidamiのブログ

2011年2月から2016年5月までの北京生活と辺境を含む中国全土および周辺国への珍旅行の記録です。

2011年12月9日

中国の社会保険制度について

今、中国の日系企業の間で最もホットな話題は、社会保険の問題です。
本年7月から施行された中国社会保険法は、その97条において「中国国内で就業する外国人も加入する」と定めているため、外国企業・外国企業駐在事務所の駐在員も中国の社会保険に加入し、社会保険料を納付しなければならなくなります。
保険の種類は、養老、医療、失業、生育、工傷の5つで、これら保険の恩恵を受ける可能性は極めて低いにもかかわらず、保険料は支払わなければなりません。

保険料は、各都市・地域において定めるとしており、北京市の例でいくと、北京市の平均月収の3倍を上限として月収の約45%程度になります。
保険料の最高額は、北京市の平均月収は約4,200元ですからその3倍の12,600元の45%=5,600~5,700元が保険料になります。当然駐在員の月収は12600元=16万円程度よりは多いはずですので、月当たり5600~5700元=7万~7.5万 円が新たな負担となります。

それでも当事務所など日本人(外国人)の人数が少ないところはまだいいのですが、現地法人や工場など日本人を多く抱える会社は大変なコストアップにつながります。
加えて、大連市では北京市のような3倍上限が無いため、正に死活問題です。
これを機に、日本人スタッフの大幅削減や、中小企業などは移転・撤退が相次ぐものと思われます。
小職も何度か在中日本大使館、中国日本商会、JETRO、北京市などが主催する説明会に出席しましたが、来賓の外務省職員などに対し、「日本政府はもっと強く中国政府と交渉を!」「民間企業が個々に対応するのではなく、政府としてしっかり指導を!」など、怒号・ヤジを交えた激しい議論が展開され、それだけこの問題の大きさを肌身で感じました。

なお、現在ドイツと韓国は、社会保険に関する二国間協定を中国と結んでおり、この2国に関しては、今回の法の適用から除外されます。日本もこの二国間協定の締結に向け、鋭意交渉しておりますが、協定の締結には2~3年程度の時間を要するものと見られています。
ちなみに、日本における外国人の社会保険の扱いはと言うと、加入を原則義務化しているため、あまり強くは言えない状況にあるのも事実です。


さて、その中国の社会保険ですが、これまでは(本年6月まで)法律そのものがありませんでしたが、社会保険制度が無かった訳ではなく、それは地方政府によってそれぞれ独自に運営されてきました。
歴史的に見ると、改革開放前は、都市部では国営企業、農村部では人民公社によって運営されてきましたが、改革開放以降は、都市部は行政府と国営・民間企業の負担により、各都市で運営されてきています。では、農村はどうかというと、改革開放後はほとんど手つかずの状態にありました。
2003年に始まった胡錦濤・温家宝体制において、三農問題への対策が最優先課題とされ、農村の社会保険の問題についても様々な施策が打ち出されてきましたが、それでも補償内容の不足や加入率の低さなど未だ多くの課題を残しています。
 今回施行された社会保険法においても、都市部労働者に関する記述は比較的多くあるにもかかわらず、農村部に関するそれは「国は『新型農村社会養老保険制度』の構築および整備を行う(第20条)」「国は『新型農村合作医療制度』の構築および整備を行う(第24条)」などに止まっています。それだけ難しい問題であることも事実ですが、これまで地方政府の問題としてきたものを、国レベルの問題にまで引き上げたことは、大きな進歩とも考えられます。
  
 法律そのものは、非常に簡潔な内容で、いわゆる「基本法」的な意味合いの強い中身ですが、これまでに地方に丸投げしそれぞれがバラバラに対応してきた内容を、国として統一的に規定したことは、社会保障、特に農村における社会保障に対する国としての強い姿勢の表れであり、非常に意義深いことと言えます。
本法に対する日本での報道は、得てして日系企業の負担の問題のみクローズアップされていますが、我々JAグループとしては手つかずの農村の社会保険制度の問題に踏み込んだことの意義も合わせて考えるべきと思います。
何故なら日本の企業でそれを考えられるのは農業団体であるある我々だけなのですから。

2011年11月10日

人民元について

 現在、アメリカ議会での「人民元切り上げを狙いとした対中制裁法案」が成立するか否かがホットな話題になっています。
 
人民元は、中国においては人民币(レンミンビー/略称RMB)と呼ばれ、その単位は、元、角(1元=10角)、分(1角=10分)の3種類があります。ただし、口語の場合,元は块(クァイ)、角は毛(マオ)と呼ばれます。
 ちなみに、元の最高額紙幣は100元(≒1,200円)ですので、5万円(4千元強)程度を財布に入れると財布がパンパンになってしまいます。
 
さて、切り上げが話題となっているその人民元のレートですが、11月9日の上海外国為替市場の人民元相場の終値は、対ドルで6.3402元、対円(100円)で8.1721元で引けていますが、これはどのように決まるのでしょうか?
改革開放後の歴史的な経過から振り返ってみます。

1.1980~1996年
(1)政府による厳格な外貨管理が行われた時期から改革期へ。
(2)1994の外国為替市場が設立された時点で基本的には変動相場制に移行。しかし、政府による市場介入でレートを操作。
<主なトピック>
○外貨兌換券の発行(~1995年)(兌換券は今では使えませんが、古銭商では高値で取引されているようです。)
○公式レート(対外非貿易取引レート)と内部決済レート(対外貿易レート)の二重相場制(~1985年)
  ○外国為替市場の創設(1994年)
  ○IMF8条国への移行(1996年)
2.1997年~2005年
  1997年に発生したアジア通貨危機により、ドルペック制(事実上の固定相場)に移行。
  1米ドル=8.28人民元。
  ドルペック制= 対米ドル固定相場、他の通貨とのレートは米ドルの値動きに連動。
3.2005~2008年
  2005年7月に人民元の2%切り上げ⇒1米ドル=8.11人民元。
通貨バスケットを参考に調整する管理フロート(管理変動相場制)への移行。毎日の変動幅を対米ドルで前日の終値(基準レート)から上下0.3%に制限。
  通貨バスケット制= 複数の通貨をウェイト付けして合成した通貨バスケットに対して
自国通貨を固定
  2007年5月に変動幅の制限を上下0.5%に拡大。
  2008年4月には1米ドルが6人民元台に突入。
4.2008~2010年
  リーマンショックによる景気の悪化を懸念した当局は、再度ドルペック制に復帰。
5.2010~
 2010年6月、「人民元の弾力性を高める」との声明を発表し、ドルペック制を廃止し、通貨バスケットを参考とした管理変動相場制へ再び移行。
 以降も元高が続き、現在の相場に至る。


 多少長くなりましたが、現在のレートの決まり方を整理すると以下のようになります。
① 名目上は変動相場制
② ただし、その変動は、中央銀行である中国人民銀行が通貨バスケットを参考にしながら介入・管理し、かつ一日0.5%の制限幅の範囲に抑えられる。
③ 多通貨バスケット制の内容は明らかになっていないが、基本的に米ドルが基軸となっていると推測。
⇒ その証拠に、円が対米ドル対し円高となった際には、必ず人民元に対し円高となっています。しかし、人民元も米ドルに対し元高となっているため、円は対米ドルほど人民元に対し円高になっていないのが実態です。


  以上のように、近年、円高に疲弊している日本と違い、その時々の経済情勢に応じ、かなりドラスチックに通貨・為替政策を打ってきています。
 もっとも円は今や国際通貨であることから、なかなか不透明な政策を打てないことも事実ですが…。
しかし中国も、アメリカに対する配慮等もあり基本的には元高トレンドにあって、ここ5年間の間でも、対米ドルで2割以上の元高となっています。
アメリカが納得する水準がどの程度なのかは分かりませんが、1米ドル=4元程度までは行くだろうと見る専門家もいます。

2011年10月14日

中国の流動人口について


先日、以下のような新聞記事がありました。
就業流動人口、2億2100万人=毎年1000万人増加-中国
 中国国家人口計生委員会は9日、2011年中国流動人口発展報告を公表し、農村の出稼ぎ労働者(農民工)など就業流動人口が2億2100万人と、全人口の16.5%に達したことを明らかにした。過去3年間は毎年1000万人前後のペースで増加。今後30年間で3億人の農村戸籍人口が都市に流入するという。国営新華社通信などが伝えた。
 それによると、1980年以降に生まれた農民工のうち、76%が都市部での永住を希望しているが、生活費の高騰や社会保障サービスの不足などに直面している。
 農民工の月間所得は4.5%が500元(約6000円)以下、27%は1000元以下にとどまり、20%前後は都市部で生活を続けていく余裕がないほか、52%は社会保険制度に一切加入していない状況だという。


 2010年の国勢調査(10年に一度行われる)の結果によると、中国の総人口は13億4千万人、内都市人口は6億6千万人、残り6億8千万人が農村人口とのことです。
今回の国勢調査は居住地を基本に行っており、そのなかで戸籍登録地を離れて半年以上が経過する人口が2億6千万人いるとされています(上記の2億1千万との差5千万人の差は不明、非就業人口と推測される。)このため、農村人口の3割弱(2億6千万÷《6億8千万+2億6千万》≒28%)が、農村に戸籍を持ちながら都市へ流入していることになっている訳です。
 ここで問題になるのが、中国の戸籍制度です。
 中国の戸籍制度は、1958年に制定された「中華人民共和国戸籍登記条例」に依るもので、その後修正等はされているものの現在もなお有効となっています。大きな特徴としては、「農村戸籍」と「非農村戸籍(都市戸籍)」に二分され、戸籍の移動は原則的に認められていない点です(日本の住民票のようなものは存在しません)。
 このことにより、農村から都市に出て働く労働者(その多くが農民工=出稼ぎ労働者)は、都市において都市戸籍所有者と同等の行政サービスを受けることができません。つまり、病気になっても社会保険が使えない、都市に出て働いている者の子女が学齢期に達しても現地の通常の学校への入学ができない、等の問題が発生します。
 これら問題は、1978年の改革・開放後、経済発展にともなう農村から都市への流入者の増大(1980~90年代「盲流」と呼ばれた)により深刻さを増し、現在中央政府はこの改革に乗り出しています。
 現在北京市の常住人口は約2千万人、このうち地方からの流入者は7百万人強いると言われています。つまり、北京市の3人に1人が北京市にいながら、十分な行政サービスが得られず不安定な生活を強いられている状況にあるということです。
 しかしながら、この問題は一朝一夕に解決できる問題ではありません。
 既に都市機能はこれら流入者無しでは、存在しえなくなっているのが現状ですが、これを緩和すれば、急激な人口流入・増大により、都市機能が麻痺することが十分想定されます。かつて、河南省の省都鄭州で都市戸籍制度を全廃したため大混乱が生じ、わずか1年で全廃措置を停止したという例もあります。
 確かに、中国の大都市の治安が他国の同規模の都市と比べて格段によいのは、これら移動制限措置により、低所得者層が多く住むいわゆるスラム街が無いことがその原因の一つとも言われています。
 基本的に移動の制限があること事態は大きな問題で、それに対する内外からの強い批判があることは政府も十分承知していますが、それを止めた時に発生する問題も十分想定・検討しながら事をすすめていくことの重要性も一定認識する必要があるということです。
 この舵取りは非常に難しく、時間をかけ試行錯誤しながら段階的にすすめていくことになるでしょう。
 说起来容易,做起来难!